待望の税理士 渋谷

米経銀行にする役割を担ってN銀入りしたはずのFも、結局、旧来型の組織を「守る側」に与した五年を過ごしたことになる。
「出発できないN銀」に五年ぶりで戻ったFが、N銀マンのための閉ざされたN銀を、国民に向けてどう開くのか。 そのF体制も発足から一年を迎えようとしている。
Fは手応えを感じているのかどうか。 最後の会見となった十九日。

Hは改めて五年間を振り返った。 間の長い、聞き馴れたその言い回し中で、印象的ったのが、ゼロ金利解除と量的緩和策の評価の落差だった。
「これで正常化が始まり、金融市場、直接金融というものをもっと考えていこうということを行内でも指示をしたりして、勉強が始まったところだった。 私にとってはあの時期が、この五年間の中では今でも一番忘れられないことであったと思う」
「よく覚えていない。
あの時に何があったか、ということはもう忘れてしまった」
ゼロ金利解除済の低迷をつかみきれていなかったHの言う「私ども」は、世界共通のことではなく、ゼロ金利解除に賛成した政策委の七人のことだった。

その時、「そうして選択された政策については、当然、N銀が責任を負うべきものである」との発言も、執行部委員から出たものだったが、Hにとってはもう他人事のようだった。
ただ、政策決定の賛否を巡る手順や各委員の発言要旨が国民の前に示されてきたことは、少なくとも政策委の仕組みが機能したことを物語る。 政策検証としては、Hはこう言うべきだっただろう。
「IT在庫状況などの米国の経済動向をもっと的確につかむような工夫をしたい。 工夫をしてもつかみきれない場合に政策運営上どうするかの工夫同日をもってHはN銀総裁の座を去った。
その五日後、Hは七十八歳の誕生日を迎えた。 量的緩和策一00三年一月一十日夕刻。
N銀本館九階の記者会見場。 この日朝、首相のKから辞令を受けたFは、報道陣のカメラフラッシュを浴びながら、まず、頭を下げた。

「私の場合、五年前、N銀の不祥事の責任をとって、退任させて頂いた。 その責任の重さを今も引き続き感じ続けている。
首相からは「その反省を踏まえてしっかり仕事をして欲し壁というお答えであった。 そのお言葉をしっかり胸に刻んで努力をしていきたい」
五年の間に、F自身が実質的に選んだ審議委員たちは、再任されたUを除いて、いずれもN銀を去っていた。
自らの長い空白の期間に、金融政策はゼロ金利を経て量的緩和策へと転換していた。 セントラルバンカーとしての自負を人一倍持つFだが、未知の世界がすでに開かれ、その先行きは依然、定かではない状況を、所与として踏み出さねばならない。
同日、時あたかも、世界中が固唾を飲んで見守っていた米英軍によるイラク攻撃が始まった。 イラク戦争とは異なるものの、先が読めないことではNも、金融政策も同じだった。
Fは続けた。 「N銀の最も有力な武器である金利機能が使えない状況に至っているということであるので、N銀の総力を挙げて知恵を絞り出し、それによって適切な対処をしていきたい」。
Fの決意には就任前からエンジンがかかっていた。 十四日に、K首相以下の主要閣僚を交えた政府・N銀定期会合の初会合に臨んだ。
総裁人事に絡んで政府・N銀の政策協定論などが喧伝されたことに配慮して、H時代には必ずしも順調と言えなかった政府との意思疎通を図る姿勢をとったわけだ。 一部には政府に恭順の意を示したと見る向きもあったが、いわば一種の手打ち。
政策発動は迅速だった。

就任した一十日。
会見に先立ってN銀は同日、イラク戦争開始に伴う金融市場の混乱を防ぐ目的で、緊急の資金供給を実施した。 金融調節方針の「なお書き」規定を弾力的に活用したわけだ。
同日の当座預金残高は政策目標上限の一十兆円を上回る一十四兆二千億円程度にまで膨らんだ。 Fはアナウンスメント効果を重視した。
五日後の二十五日には、新N銀法施行以来初の臨時政策委決定会合を開いた。 ここで、当座預金残高の操作目標にこだわらず潤沢な資金供給を続けることを確認した。

H時代の最後の政策判断(三月四、五日会合)として四月一日の日本郵政公社の発足に合わせて、同月から目標額を十七兆一十二兆円に拡大することになっていたが、その目標変更に合わせて、ロンバート型貸出の適用金利(公定歩合)をすべての期間に適用するなどの弾力化措置を、ここで加えた。 次の四月七、八日の会合では、資産担保証券(ABS)の買い入れを打ち出した。
金融政策のトランスミッションメカニズム(波及経路)の目詰まり打開のために、中堅・中小企業関連の貸出債権などを裏付けとしたABSや資産担保コマーシャルペーパー(ABCP)を金融調節上の買い入れ対象資産としたのだった。 同措置は七月に実施された。
矢継ぎ早の政策変更に世間は驚くと共に、首を傾げる向きも少なくなかった。 H時代から金融政策はすでに行き詰まり状態だったはずが、総裁が代わっただけで、そうも次々と政策変更が可能になるのかと。
臨時政策決定会合を含む立ち上がりの三会合とも「政策変更」に違いなかったが、その中身が問題だった。 なお書き規定の変更や、企業の利用が芳しくないロンバート型貸出の調整などで、スピ目先をかわすだけでは馬脚はすぐに現れる。
N銀マンとして四十年のキャリアを持つFがそれを知らないわけはなかった。 Fが「思い切って」投げたボールがABS買い入れ策だったのは間違いない。
対象はABSのほか中堅中小企業の売掛債権を束ねたABCP。 F流の言い方だと、銀行貸出を通じた波及経路に目詰まりが生じているのだから、Cのほうが企業により近いところに出かけて行って資金供給するいわば「出前金融」の実践だ。
「これから先の日本の金融の姿を考えた場合、銀行貸出をパイプとした金融仲介より、市場を通じる金融の姿が展開していくだろう。 そう考えると企業関連の資産を市場で流動化していくスキームをうまく作り上げれば、将来の可能性が非常に大きい」
「(そのために)N銀が何らかの形で口火を付ける役割を果たすことが有益である可能性が強い」
N銀がABS、ABCP市場の有力な買い手となることで中堅中小企業の資金繰りを支援する狙いが込められていた。
買い入れ期間は二00五年度末まで、限度額は一兆円とした。 だが、この間の株価上昇がFの読みを崩した。

九月中間決算に向けて資産圧縮に向かうと思われた銀行は、そうは動かなかった。 ABCPについても投資家ニーズが高く、N銀の買い入れ額は二00三年十一月現在で合計千六百億円にとどまっている。
十一月のABCP買い切りオペでは、五百億円の予定額に対し、応札百六十四億円という〃札割れ〃も生じた。 それでもFは市場育成を促すため、金融機関などの市場参加者にード感は何となく出たものの、口の悪い向きからは、前には進まずその場で足を組み替えしているのと大して違わないとの指摘もあった。
呼びかけて「証券化市場フォーラム」を発足させるなど、新たな市場作りの手順を積み上げている。 二00三年最後の政策委となった十二月十六日の政策決定会合では、買い入れ基準の見直しを事務方に指示し、二00四年最初の政策委での報告を求めた。
審議委員の目覚めFの量的緩和策に対する姿勢もH時代と好対照となった。


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